都市と内臓、風土の内と外

City and Intestines, or Inside and Outside of Fudo

 

韓麗珠「輸水管森林」を読む

A Literary Critique on Hon Lai-chu’s”Water Pipe Woods” from Fudo Perspective

 

寺田匡宏

Masahiro Terada

 

風土学にとって、内と外という問題は中心的な問題だ。和辻哲郎は著書『風土』の中で、「わたし」という主体は、「外に出ている」ものとして「わたし」に対峙していると言った。「わたし」は、「わたし」の体の中だけにあるのではないのだ。「わたし」は、「わたし」の体の外にもある。「わたし」は、環境の中にもある。そのような、「わたし」の中にある「わたし」と、「わたし」の外にある「わたし」が作り上げるものが風土という現象だと和辻は言う。そのような考え方は、デカルトの「我思うゆえにわれあり」の「我」が「わたし」の体の内部だけにあるという考え方とは全く違っている。デカルトの考え方では、「わたし」は、「わたし」の中にだけあり、環境の中に「わたし」があることはない。環境は、あくまで「わたし」と切り離されている。そこには風土というような、「わたし」の中の「わたし」と「わたし」の外の「わたし」が織りなす現象は生まれようがない。

 

オギュスタン・ベルクAugustin Berqueの風土学も、この内と外を問題を引き継いでいる。ベルクの風土学は、フランス語で「メゾロジー mésologie」というが、このメゾとは「中間」や「あいだ」を指す。「メゾソプラノ」や「メゾネット」という語で用いられる「メゾ」である。何と何の中間か。それは、内と外の中間である。ベルクの「風土学」すなわち「メゾロジー」は。内でもない、外でもない「あいだ」を問題にする。和辻が「わたし」の内と外を問題にしたことは、内でもない、外でもない中間の領域を問題にしたことである。ベルクのメゾロジーもそれを引き継いでいる。

 

ベルクは、フランス語で「風土学」を表現する際に、「フード・ロジー」のように風土という語を用いなかった。「タタミ」や「キモノ」はフランス語になっているので、「フード」という日本語をそのまま用いてもよかっただろう。けれども、ベルクは、あえて、風土学を「メゾロジー」と訳した。だから、フランス人は、風土学のことを「中間学」や「あいだ学」として認識している。これは、まさに、風土学が、外でもなく、内でもない間を問題にすることを象徴している。

 

そんな、内でもなく、外でもない領域への感性とは、アジアの感性でもある。アジアのうちでもない外でもない感性が風土学の底にはある。このうちでもない、外でもない間隔は、自然との関係において見出されることが多いが、けれども、それは自然との関係だけにあるのではない。そうではない領域にも見られる。都市もその一つだ。風土学から都市を考えるとどうなるのか。そんなことを考えさせてくれるのが韓麗珠の小説だ。舞台は香港。この小説を読むことで、都市と風土について考えてみたい。

 

 

香港という都市は世界のどこにも似ていない都市だと思う。香港は、ニューヨークのようでもある。どちらも、イギリス人が入植し、島に作られた。どちらも、金融と経済に特化した小さな領域に高密度にビルが建ち並んでいる。けれども、ニューヨークは、グリッド状の都市計画が貫徹するのに対して、香港では、グリッドは島の地形や等高線によって大きく変形される。その変形は、地形だけではない。都市そのものの在り方も、アジア風に大きく変形されている。

 

「輸水管森林」は、香港を代表する現代作家のひとりの韓麗珠(ホン・ライチューHon Lai-chu)が初めて出版した短編集の表題作だ。彼女が、18歳の時の作品。それ以後、彼女は次々に不思議な作品を生み出す。カフカのような、という言い方は、本人にも失礼だし、カフカにも失礼のようにも思うが、しかし、カフカのような作風という言い方で表現できないものがあるのも確かである。中国語で書く作家に、残雪(ツァン・シュエCán Xuě)と韓麗珠という二人のカフカのような女性がいるのはうれしい。日本の作家でいうと、倉橋由美子の感じが近いだろうか。多和田葉子も彷彿とさせる。

 

この「輸水管森林」の後、「縫身」、「離心帯」、「風箏家族(凧家族)」などの作品が彼女によって生み出されることになる。どれも、この世と同じでありながらどこかこの世と違うこの世を描いた小説だが、香港を思わせるところを舞台として、そのようなどこかこの世とは違った世界が描かれる。手術、病院、祖母、母、気球、高層住宅など繰り返し登場するモチーフも多い。病や病院が描かれるのは、初期の小川洋子を思わせるようでもある。

 

 

わずか数ページの小品だが、その中心となるのは、高層アパートの部屋から部屋へとうねうねと入り込む輸水管(水道管)である。それは、外壁を伝って壁をよじ登り、廊下を這い、廊下から窓を開けて部屋の中に入り込み天井板にぶら下がって、部屋から部屋へと続いていく。その輸水管が、あたかもその数ページの中をうねうねとくねって行くようである。

 

「わたし」の住む高層アパートの中も、向かいの高層アパートにもその輸水管は絡みついている。向かいのアパートの一室が丸見えで、そこに太った男が住んでいるのが見える。男は奇妙な習性があり、トイレの後、なぜか水タンクの水洗レバーを何度も操作する。

 

わたしの母は、病で伏せっている祖母のために、毎日、台所で豚の腸を開いて洗っている。豚の腸の入ったお粥しか口にできなくなる病なのだ。母が豚の腸を洗うその水が流される時、輸水管の中でシャカシャカというようなせわしない音がする。いや、その時だけではない。輸水管はアパート中をめぐっているのだから、わたしの部屋の中を常に水が流れている音がしている。祖母の病とは腸の病であり、腸とは管である。管に起きているよくないこと。わたしは、向かいの高層アパートに絡みついた輸水管が爆裂する夢をしばしば見る。

 

枯れ枝のようであり、うつろな目をして何も語らずに電灯もない部屋に横たわっていた祖母は、母によって病院に送られる。その祖母の入院と、輸水管の断水が並行して進む数日間のことがこの小説の中心部分である。「弟はまだ小さいし、わたしは家でやることがある。おばあさんはあなたのおばあさんなのだから、あなたがお見舞い係になりなさい」と母に言われ、わたしは、毎日、祖母の見舞いをすることになる。祖母は、病院で鼻から管を入れられ意識もなく横たわっている。ここでも管が出てくる。

 

 

時は五月。香港の五月は雨の季節である。常に雨が降り続き、空は暗い。ある日、見舞いから帰ってくると、向かいの高層アパートが、白と藍色の葬儀用の鯨幕のような幕で覆われているのをわたしは見る。そういえば、数日前に、そのアパートの入り口で、太い輸水管の根元から水が湧き出て小さな湖のようになっていたのを見た。どうやら、そのアパートは施工に問題があったらしい。あの太った男の奇妙な習性はそれが原因であったのか。そういえば、その太った男が天井を這う輸水管に猿のようにぶら下がり足を震わせている奇妙な姿も見た。

 

わたしが病院に祖母を訪ねると、祖母は突然生気を取り戻し、言葉も普通に話すようになっている。そうして、「このところろくなものを食べていない」と言って、パンをパクパク食べ始め、それだけではとどまらず、看護師や隣の入院患者にもらったカステラやビスケットを大量に食べる。病院を出た私は、母に、祖母が思いがけず治ったことを告げないといけないなと思いを巡らす。けれども、わたしは、なかなか家に帰れない。道に迷ってしまったのだ。いつもの道だったはずなのに、その道が異界への道だったのだろうか。

 

ひとが誰もいない道。空は暗くなる。そういえば、病院の裏側を、幾条もの真っ白な輸水管がまるで樹木のようにびっしりとおおっていた。わたしは、輸水管の森林に迷い込んでしまったのだろうか。わたしは、その輸水管森林の枝にあの太った男のようにぶら下がりたいという衝動を覚える。けれども、わたしは同時に、その壁の向こうにあるのは、病院の遺体安置室であることも知っていた。結局、わたしが家に帰りついたのは三時間後のことだった。

 

数日後の夜、病院からの電話が、祖母が亡くなったことを告げた。母は、あれほど看病したのに、死因を解剖して調べましょうかという担当医には、「適当に書いておいて」と言い、祖母の死因は心筋梗塞ということになる。

 

ほどなくして、わたしの一家は、一軒家に引っ越した。一軒家には、壁を這う輸水管もなければ、窓から部屋に入ってくる輸水管もなかった。それが普通なのだ。窓からは、高層アパートが見える代わりに山が見えた。わたしは、その一軒家に慣れなかった。母は昼間働きに行き、弟は寄宿制の学校に行っていたので、家には、昼間だれもいなくなる。わたしは手持無沙汰で部屋にいる。わたしはキッチンに行って、シンクの下の小さなトビラを開け、そこに小さな輸水管を発見する。輸水管はここにあったのだ。わたしはそこにそっと耳を付ける。そこには、あの懐かしい水の流れる音がする。そうして、わたしは幻視する。あの病院の後ろの路地の奥にあった輸水管の森林を。わたしは、あの太った男と同じように、輸水管の森を猿のように登って行く――。

 

 

以上があらすじだが、都市と内臓が一体となったような感覚である。輸水管は、家に遠慮なく入ってくる。それは、都市という外側が家の中に遠慮なく入ってきているのを示している。そこには、外も内もない。外も内も区別のつかない世界である。となると、内と外とは何かということになる。内とは理解可能なものである。それは、内にあるから理解の範囲内だが、かといって、実は、内だからといって、かならずしもそれが理解できるというわけでもない。内臓は、内にあるのにもかかわらずよくわからない。内臓は、自分の中に存在する他者である。よくわからない他者のようなものは、しかし親密なものとして存在する。そこには内と外をめぐるパラドックスがあり、それは、都市であろうと、身体であろうと同じことである。

 

小説の中では、祖母も母もよくわからないものとして描かれる。祖母は、言葉を話さず横たわっていただけだったと思えば、突然話はじめ超絶的な食欲を見せたかと思うと死んでしまう。祖母の死に際しては、「わたし」は、母が涙にくれると思っていたが、あれほど看病していたのにもかかわらず、母は、あまりにそっけない態度を示す。家族という内にいるものでありながら、もうすでに、他者である。

 

いや、そもそも、「わたし」は「わたし」のこともよくわからない。わたしは時々自分でも思ってもいなかったのに、時々、あの太った男のように、トイレの後、何度も水を流し、急いでキッチンの流しの下に行っては、輸水管に耳をくっつけたりしている。ただ確実なのは、その中をさらさらと流れる水の低くゆるやかな音だけだ。ここには内と外の融解と、その間を流れる流れの存在の確実性だけがある。

 

 

都市が内部に入り込む感覚といえば、写真家の宮本隆司にインタビューしたとき、彼は、「都市を建築に埋蔵する」という建築家の原広司の言葉を引用して、段ボールハウスについて話していた(宮本2009=2020)。ホームレスの段ボールハウスをある時期集中的に撮影していた宮本は、仲良くなったホームレスに誘われて段ボールハウスに入ってみて、そこに、都市をその中に埋蔵するような安心感を感じたのだという。都市は、外にあるようだが、じつは、中にある。そういえば、宮本には、九龍城の内部を接写のようにして撮影した『九龍城址』という写真集があった(宮本1998)。それは、あるビルの内部を撮った写真でありながら、見事に香港という都市を撮った写真となっていた。都市の内臓といえようか。都市は人工である。しかし、内臓として感知されるまでになった都市はもはや自然でもあろう。その感覚はアジアの身体感覚なのかもしれない。

 

この短編では、その都市は、森林でもある。となると、「わたし」の内臓は森林でもあるのだろうか。森の木には導水管が張り巡らされているし、私の身体の中も血液という水が流れ、腸という管が通っているのだから、それは森林であるということにもなるだろう。

 

「わたし」は、輸水管の森を、一匹の猿となって渡って行くことを幻視する。それにしても、その幻視された都市とは、過去の都市なのだろうか、それとも未来の都市なのだろうか。それを過去ととらえることもできようし、未来ととらえることもできよう。たしかに、そこには、昔、森が広がっていただろうから過去でもあるだろうし、また未来にはその都市は持続可能な森林都市になっているかもしれないので未来かもしれない。けれど、その都市は、「わたし」によって幻視された都市だから、それは、わたしの内部にある。わたしの内部とは、わたしが生み出されるどこか。いや、それは、時間のないどこかであり、もしかしたら父母未生の時間である。そこを渡る猿。父母未生とは、時間以前の時間である。内と外を貫いて流れるものとは、そのような境域につながる何かなのかもしれない。

 

 

※※※※

韓麗珠(1996=2018)「輸水管森林」陳大為・鍾怡雯(編)『華文文学百年選』香港編2小説、九歌出版社(台湾)。

宮本隆司(1998)『九龍城址』ペヨトル工房。

宮本隆司(2009=2020)「受動としての写真――「ピンホールの家」以後」宮本隆司『いのちは誘う――宮本隆司写真随想』平凡社。