風土と物語ーー 梨木香歩『椿宿の辺りに』を読む Fudo and Narrative: A Literary Critique on Kaho Nashiki’s “Villa Camellia” from Fudo Perspective
風土と物語
Fudo and Narrative
梨木香歩『椿宿の辺りに』を読む
A Literary Critique on Kaho Nashiki’s “Villa Camellia” from Fudo Perspective
寺田匡宏
Masahiro Terada
異世界への入り口はどこにあるのだろうか。異世界への入り口は、墓場だとか、巨木のほこらだとか、ひと気のない夕暮れのさびしい裏道だとか、どこかおどろおどろしい隠されたところにあるように思われるが、しかし、じつは、異世界への入り口は、そんなところにあるのではなくて、もう、そこに口を広げているのかもしれない。異世界の「異世界性」とは、「異なる」語りによってもたらされるものでもあるのだから、もし、「異なる」語りが始まったとしたらば、もうそこが異世界になる。異世界とは、どこかにあるのではなく、「異なる」語りが始まる「そこ」あるいは「ここ」から始まるものだ。梨木香歩の小説とは、主人公が異世界に入り込む小説だが、その異世界への入り口は、どこかにあるのではなく、もう、すでに、その小説が始まったときから、そこにある。そういう意味では、物語が始まることそのものが異世界への入り口である。
「私」に痛みが生じたというのが、この物語の発端なのだが、痛みが生じるというのは、異世界への入り口であろうか。痛みが入り口であるならば、たしかに、それは入り口であるとはいえるかもしれない。しかし、痛みは入り口であるとも言い切れない。なぜなら、それは、入り口というよりも、もうすでに、「私」の中に入り込んできているので、入り口というには適切ではないように思われるからだ。とはいえ、しかし、「私」に痛みが生じたのがこの物語の発端なのだから、それは入り口でもある。いや、痛みは体の中に入り込んでいるのだから、異世界という物語が「私」の中に入り込んだというべきか。この、「物語が入り込む」という感覚は、この小説を貫くモチーフで、人、つまり、言語を操り、言語に操られる存在は、物語に入り込まれている、という感覚がこの小説を動かしている根源にある。
その物語とは、数千年にわたる物語である。それが、一万年を超えるのかどうかは、その物語がどのような物語であるかにかかわる本質的な問題であり、この後、あらためて触れることになるが、もし仮に、それが数千年ならば、それは、ホモ・サピエンスの農業化以後の完新世の物語であるが、もしそれが、一万年を超えるものだとするならば、それは、ホモ・サピエンスの農業化以前の、狩猟・採集・遊動・漁労などを含みこんだ更新世の物語であるということになる。そのような物語が、「私」の中に入りこんでいる。どのようにして「私」の中に入り込んだか。それは、名前を通じてである。「私」は山彦という名前を持つ。この名前はどこから来たのか。山彦は正確には、山幸彦という。『古事記』に見える名前だ。『古事記』の中には、海幸彦と山幸彦という名を持つ二人の兄弟の争い譚がある。それは、聖書の中にカインとアベルの兄弟の争い譚があるのと同じである。『古事記』に登場する神の名前を与えられたことで、「私」すなわち、山彦の中には、数千年を超える歴史が入り込むことになる。
山幸彦がいるならば、海幸彦がいなくてはならない。この『椿宿の辺り』の「私」であるところの山彦には、海幸彦という名の従妹がいる。海幸彦という名は女の子にはふさわしくないので、それは「海幸比子(うみさちひこ)」と書かれ、彼女は、通称として海子という名を名乗っている。海子は山彦の二歳年下。この一族をめぐる歴史が、山彦の痛みに関係している。山彦は、三十代はじめくらいの男性。独身。「四十肩」ならぬ「三十肩」ともいえそうな、原因不明の腕から肩にかけての痛みに突然悩まされることになる。ふと気になって連絡を取った従妹である海子も、どうやら肩ではないが靭帯や関節の原因不明の突発的な痛みに悩まされているらしい。ふたりが、「仮縫」という奇妙な名の鍼灸院に通うことから、痛みは、歴史の物語とシンクロして、動き始める。
ここでいう歴史の物語とは、一つには、山彦と海子の一族である佐田家の歴史である。それは本書の中では、曽祖父の豊彦の代から語られ始める。豊彦が、本願の地である「椿宿」――四国を思わせる――から、都会に出てきたころの話。豊彦の故郷からの出立とは、日本の近代国民国家形成期の話であり、立身出世の物語であると当時に、ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』の中で、「巡礼」と呼んだ、知識社会の中心地へ向かう人流の一つである。豊彦は、都会に出て、知識の世界に入り、植物園に職を得た。植物園とは、日本においては徳川時代の薬草園の系譜を持つが、一方で、西洋起源のプラントハンターの系譜も持つ、知の帝国主義の表象でもある。その豊彦の子どもが、道彦と藪彦。道彦は夭折し、藪彦が佐田の家を継ぐ。その藪彦には、男と女の子どもがいて、その男と女の子どもには、同じく男と女の孫が生まれた。藪彦は、その二人の孫に、山幸彦と海幸彦という名前を付ける。それが「私」と、海子である。しかし、それにしても、なぜ、山幸彦であり、海幸彦なのか。しかも、兄弟ではなく、従兄妹にその名前が与えられるとは。その謎ときが、「私」と海子の、痛みの謎解きでもある。
そんな二人が、痛みの原因を探る中で、本貫の地である椿宿に至り、その椿宿の佐田家所有の家で、今は、鮫島家が借家人として入居している古い家にたどり着き、発見するものがこの小説の核である。発見するものは何か。それは、藩政時代の物語であり、その藩政時代以前の中世の川の物語であり、さらに、その川を作ることになった火山噴火の物語であり、その噴火によって消えたある神社の物語であり、さらに、その火山噴火以前にその地に住み着いていた生き物たちの物語である。それらが重層しながら、山彦と海子の前に現れ、山彦と海子が、その重層した歴史を自らで語りなおすことができるようになった時に、山彦と海子から痛みは消える。
それは、そのような歴史に翻弄されるだけであった二人が、みずからの主体性によって、物語をみずからの語りに変えていく過程でもある。物語に翻弄されることは、人間にとってつらい状況である。「私」である山彦にとっても、「私」の従妹である海子にとっても、兄弟間の葛藤という物語を秘めた名前を与えられることは、計り知れない重荷を精神に与えた。さらに、その重荷には、単なる神話ではなく、どうやら、佐田家という、イエの重い歴史も関わっていることが見え隠れしている。そうとなると、その重荷の重さは、よりずしりと肩に食い込むもののなっただろう。いや、肩ではなく、心に食い込んでいたという方が正しいかもしれない。とはいえ、それは、心の問題であったかもしれないが、心と体は通底しているので、体の痛みとなって表れた。与えられた物語を、どのように自分の物語として語れるかが、その痛みという苦からの脱却の鍵である。痛みとは、象徴であり、必ずしも、それは、物理的な痛みであるとは限らない。象徴とは、言語による人間の内的構築物である。そうして、痛みとは、精神的なものであると当時に、身体的なものでもある。この、人間の痛みの二重性は、人間が、精神と身体の二つからなるという存在であることから来る宿命的なものである。
本書を貫いている思想は、風土とは、物語という人間による言語的構築物と、その外部にある自然の森羅万象が一体となって作り上げたものであるという思想である。物語とは、本書では、まず第一には、『古事記』の物語である。『古事記』に記された物語は、文字のない時代の人々から脈々と受け継がれた歴史だが、その歴史とは、『古事記』として書記されることで、固定化され、客観化されたある対象物となる。が、しかし、物語は、固定化され、客観化されたとしても、そのような状態は、実は、固定化され、留まってはいない。その物語であり語りであるものが存在することによって、さらに、それは新たな物語を駆動する。それは、流動し、変形し続けるものなのだ。そのような物語の連なりの中で、数千年にわたって繰り広げられて来たのが、この列島の歴史だ。そうして、列島の歴史とは、列島の自然環境の上に存在している。その自然環境は、しかし、物語の中に取り入れられることで、単なる自然環境ではなく、物語空間の重要な一部になっている。それは、森山川海といったものたちと、ことば、なまえ、物語といったものからなる、人間が作り上げてきた構造物である。その総体が、風土である。
風土とは、たんなる自然環境ではない。かといって風土とは心の中にあるものではない。それは、人間の心の中というものが、その外に出ていき、現実のある場において現象しているという意味で、人間の内面と、外部世界が作り上げたある世界である。つまり、風土とは、たんなる環境でもなければ、自然でもない。もちろん、それは、単なる物語でもなければ、心的現象でもない。ものと、ことと、かたりが一体となってある場において作り上げたものであり、それがある一定の時間とともに、そこに堆積したことによって厚みを帯びることになったある現象物である。本書は風土について語っていると述べてきたが、実は、本書の中には風土という語はほとんど登場しない。本書の中に、風土という語が登場するのは、たった一度である。興味ぶかいことにその一か所だけ登場する風土という語は、「精神的風土」という語としてあらわれている(本書289ページ)。この用法は、つまり、風土とは、こころの外部にある森羅万象のことを指すのではなく、心の内部にある精神と、その外部にあるあらゆる存在物が、分かちがたく結びついたものであるということを含意している。
風土は桎梏(しっこく)であろうか。たしかに、山彦と海子に取りついた風土は桎梏であった。しかし、それは、同時に、語りにより変えてゆくことができるものでもあった。人間は、環境と切り離して生きることはできない。人間が生れ落ちるのは環境の中であるが、その環境は、すでに、風土として、様々な意味を帯びた関係性の中にある。人間は、そのような風土の中に生れ落ちる。しかし、そこにあるその風土が、意味を帯びている、つまり、そこに「意味」がある限り、人間は自らの言語によって、それを語りなおすことができる。そのような語り直しの連なりによって、そもそも、風土とは長い年月をかけて、この地球上に作られてきたものであろう。語り直しは、その過程の中で起こる、自然の過程でもある。つまり、風土とは、桎梏でもあるが、それは、そのようなものとして、語りなおすことができる、可塑性のあるものでもある。
語り直しにおいて、本書では、「仮縫」という名の鍼灸師が重要な役割を果たす。鍼灸師が行っていることとは何か。鍼灸師が行うこととは、「経絡」と呼ばれる気の流れに作用を及ぼすことで、流れを活性化させたり、流れを変えたりすることである。それが治療でもある。経絡とは流れであるが、それは、本書では、川の比喩ともなり、佐田家の本願の地である椿宿の川の流れの問題とも重なり合っていく。そこには、天と地の照応、宇宙というマクロ・コスモスと、人体というミクロ・コスモスの照応の思想がある。天と地の照応とは、東アジアの思想の一つで、「天文(てんもん)」と「人文(じんもん)」という語があることにそもそも表れているが、環境と人間が分かちがたく結びついていることを示す(寺田匡宏『人文地球環境学――「ひと、もの、いきもの」と世界/出来』あいり出版、2021年)。本書のいう「痛み」も、そのような環境と人間との間の照応の一つである。「全体と切り離して個は存在しえないのです」と、梨木はその鍼灸師に語らせている(本書298ページ)。
この仮縫という名の鍼灸師は、「御師(おし)」の流れをくむ人であった。御師とは、平安時代から存在するカミ(神)にかかわる職分であり、一種の民間の呪術者である。この御師とは、「人助け」のために物語を操るものとして本書では描かれる。呪術というと何か神秘的なものが連想されるが、本書は、呪術を神秘化したものとしては描いていない。本書は、民間呪術者の物語に対する行為を、クロード・レヴィ・ストロースの呪術の分析のように、科学主義の立場からとらえる。レヴィ・ストロースは、『構造人類学』の中で、世界各地の呪医の事例をもとに、彼らが様々な「仕掛け」を用いながら、「患者」たちを自らの世界観、すなわち物語の中に引き込み、その世界観をベースにして治療を有効化させることを示す。レヴィ・ストロースは、あるアフリカの呪医が、「治療」行為の中で、ある虫を手の中から出して、これがあなたの身体の痛みの元であった託宣する事例を紹介する。それは、その呪医を信じる者にとっては、まさに痛みを引き起こしていた元凶である。しかし、呪医を信じないもの――その中には、文化人類学者も含まれる――にとっては、それは、単に、その呪医があらかじめ手の中に隠し持っていて、あたかも患者の身体から取り出したかのように取り出して見せた、そこいらで採ってきた虫にしか過ぎない。つまり、治療とは、ある意味の体系の中に入るか入らないかという問題であるというのである。意味の体系とは、世界観であり、物語である。呪術師が行っているのは、世界観や物語の操作である。そのように、呪術をとらえたうえで、本書は、物語を操ることを、否定されるべきものとして描いてはいない。人間は言語によって世界を解釈することから離れることはできないのだから、その物語の力が悪ではなく善の形で利用されている限りは、それは、正しい行為であろう。それは、呪医だけの問題ではない。物語を語るという、小説の機能そのものの問題でもある。
物語は、人間の深層に影響を与える。本書は、『古事記』の海幸彦山幸彦神話を単純になぞっているわけではない。もう一つのひねりを加えている。海彦、山彦に加えて、宙彦という登場人物を登場させているのだ。この宙彦は、佐田家が本貫の地に所有している古民家を豊彦の代から借りている借家人の子孫で山彦と海子とほぼ同じ年齢だが、その借家人は、古い藩政時代に、佐田家の仕えた藩主の使用人であったという由緒を持つ。その家の末裔が期せずして、宙彦という名を持つことになったのである。宙彦とは、「そらひこ」と読むが、この「宙」とは、それが「空(くう)」を表象することを示す。実は、『古事記』の海幸彦山幸彦神話には、もう一人の登場人物がいて、その登場人物は、名前だけは登場するものの、実体の与えられない無為である「空(くう)」な存在なのだ。本書では、そのような存在が、現在によみがえったのが、「宙彦」であるという設定になる。この『古事記』における空なる存在に注目したのが、臨床心理学者の河合隼雄である。河合は、この空なる存在について、「『古事記』神話における中空構造」という論文を書いている(河合隼雄『河合隼雄著作集』第8巻日本人の心、岩波書店、1994年所収。初出は1980年)。本書は、直接的には、この河合の説を下敷きにしているのだが、本書が下敷きにしているのは、この河合の『古事記』をめぐる所説だけではない。河合隼雄の物語への姿勢も大きな影響を与えている。
河合が中空構造を発見したのはなぜか。それは、河合が、日本人の心を知ろうとしたためである。河合は、若いころ、アメリカ留学を経てスイスにわたり、チューリヒのカール・グスタフ・ユングの下で精神分析、心理学を学んだ。ユングは深層心理をさまざまな「アーキタイプ」によって解釈する精神分析・心理学を提唱した学者だが、河合は、ユングの教えを受容しつつも、そのアーキタイプでは割り切れない日本人の心のあり方に悩んでいた。ユングのアーキタイプは普遍的なものであるというものの、実は、西洋の様々な文化的刻印を帯びている。そのようなもので、日本人の心の問題を解くことはできない。そのことに気付いた河合は、日本に伝わる昔話や神話を読み漁り、その中から古事記の中空構造というものを見出したのだ。中空とは、両極の間に、第三極があるが、その第三極が「無」や「空」として表象される構造のことである。河合は、そのような構造の表象が、古事記には数多く書かれていることを発見した。『古事記』冒頭のタカムスビ、アメノミナカヌシ、カミムスビにおけるアメノミナカヌシや、アマテラス、ツクヨミ、スサノオにおけるツクヨミがその例だが、海幸彦と山幸彦もその例であり、この二人の間には、もう一人の無為の存在がいる。それは、二元論的ではない世界観である。西洋の二元論に対する非二元論的な心理構造を解釈する概念的ツールとして河合はこの中空構造を定位した。ただし、この第三極の空は、日本的とも言い難い。西洋のキリスト教神学においては、父と子と精霊という三位一体において、精霊という第三極が「空」に近い薄弱な扱いをされることがある(Richard J.Plantinga, Thomas R. Thompson, and Matthew D. Lundberg, An Introduction to Christian Theology, Cambridge University Press, pp. 284-285.)。あるいは、ヘーゲルも『論理学』において、弁証法における第三の極を問題にする(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Wissenschaft der Logik, Erster Teil. Georg Lasson (Hg.), Felix Meiner Verlag, 1951, S.337ff, Original Ausgabe 1841.)。とすれば、河合の解釈は、日本的を強調しすぎともいえるかもしれない。当時、いわゆる日本文化論が全盛期であった時代背景を割り引いて考える必要もあろう。
本書の中で宙彦は、直接的には姿を現すことはない。宙彦は失踪中で、手紙だけによって、佐田家の歴史にかかわる山彦と海子の痛みを解決する存在として描かれる。それは、まさに、不在であることであり、中空性そのものなのだが、その中空性が、しかし、山彦と海子という二元性だけでは解きえなかった深い問題を解くことに寄与する。興味深いことに、二元性において二つの両極の「間」にある第三の領域に注目することは、風土学の基本でもある。和辻哲郎が『風土』で提唱した風土学を推し進めて、日仏両言語にまたがってさらなる理論化を行ったフランスのオギュスタン・ベルクは、「通態」という用語を提唱しているが、それは、人間と環境が主体でもなく客体でもなく、「通態的に」この世界に存在することを言った語である。通態とは、主体(主観)と客体(客観)の二極の「間」にある第三の領域である。「風土学」を、ベルクは、フランス語でメゾロジーmésologieと表現するが、メゾとは「中」という意味であるので、メゾロジーとは文字通りに訳せば「中間学」とも訳せる。河合隼雄のいう「中空」とは「中間の空性」という意味だが、ここでいう、「空」とは「無」という意味ではない。「色即是空、空即是色」に見られるような、あらゆるものを発生させる発生機のような境域である。「空(くう)」の思想といわれる仏教のナーガールジュナの思想は、「中論」と呼ばれるが、それも、まさに、二極の間が「空」であるということを主張する説である。風土とは、そのような、精神と物質にかかわる二元論では割り切れない、二極の「間」という第三の領域にグラデーション的にあらわれる現象でもある。
河合隼雄のいう物語とは、人間がたましいの安逸を保つためのものであった。物語を適正に語ることができるということが人間にとって大切なことである。河合は、それを人間の心理学の問題としてとらえた。それを踏まえつつ、本書で、梨木香歩は、それを一歩進めて、風土と人間の物語としてそれを定位しようとしている。
その際に梨木が、『古事記』の中の海幸彦山幸彦神話に着目したことは興味深い。河合隼雄は、古事記の中空構造を論じる中で、それ以外の事例も挙げているが、梨木が、あえて海幸彦山幸彦神話に注目したことの意味は何か。海幸彦山幸彦神話は、海の民と山の民の交流を示す神話であり、農耕にかかわる神話とは異なる。神話学においては、この神話の中にみられる「失われた釣り針」のモチーフの源流がインドネシアにあることが明らかにされている(大林太良・吉田敦彦監修『日本神話学事典』、大和書房、1997年、66-67ページ)。それは、農耕民である弥生人とは異なる者たちが、この神話をこの列島に持ち運んだことを示唆するだろう。ホモ・サピエンスは、物語とともに、地球を旅してきた。ホモ・サピエンスはアフリカを十万年くらい前に出て、アジアを経て、北米と南米に移動していった。そのとき、彼らが携えたのは、モノとしては、おそらく手や籠で持ち運びできる石器くらいだっただろうが、同時に、言語で語られた物語も運んでいたはずだ。更新世は、約260万年前に始まり、完新世は約1万年前に始まるが、出アフリカ以来の人類の旅は1万年前くらいにはすでに南米に到達していたので、完新世が始まったころには、もうすでに、ホモ・サピエンスの拡散は終了していたことになる。非農耕とは、更新世的なホモ・サピエンスの在り方である。神話に見られる非農耕的要素とは、ホモ・サピエンスがそれを携えて移動した歴史の痕跡でもあるだろう。『風土記』には、そのような神話が収録されている。約5万年前にはユーラシアから東南アジアを経て、オーストラリアにホモ・サピエンスが到着していたといわれる。釣り針神話はそのような移動の過程で彼らによって運ばれていた可能性もあろう。この『古事記』の海幸彦山幸彦神話もその一つといってもよいかもしれない。梨木がこの神話をとり上げたことで、この物語は更新世をも視野に入れる。
本書には、魚類の在来種への言及がある。「私」の痛みが解決に近づいた場面で、川魚のカジカが登場するが、カジカにはその川だけにいる固有の在来集団があることが述べられる。あるいは、本書の中で直接には言及されていないが、本書のタイトルともなっているツバキもそのような含意を秘めて本書に登場しているであろう。ツバキは、日本の在来種である。ツバキも、カジカも、人間がこの列島にやってくる以前からそこにいた。ホモ・サピエンスは、もともとこの列島にはいなかった。ホモ・サピエンスは、この列島では、外来種である。ホモ・サピエンスがいなかったころ、この列島の住人は、生き物や植物たちであったはずである。そんな生き物たちが織りなした列島の様相も、風土であったとも言えよう。アフリカを出て数万年の旅をしてきたホモ・サピエンスは、そのような、非人間がおりなした風土の上にやって来た。そうして、今度は、そこに、新たな物語を織りなしていった。そのような、ひと、モノ、生き物の長い歴史を織り込んだものが風土であると本書は語っている。
風土が、人間と自然環境との相互作用であるということは、この地球も、もうすでに、人間による物語の中にあるということである。もし、そうであるならば、この地球が病んでいるとき、その地球の病は、物理的に治療されると同時に、物語的に治療されうるということでもあろう。鍼灸師の仮縫は、経絡を川の流れの譬えを用いて語る。経絡は動くものであり、その動きの中にある経穴(ツボ)をしっかりと整えることが必要だという。それを、彼は「おさめる」と表現する。「おさめるところをおさめさえしたら、あとは安静にしておけば、身体は自然と回復していくもの」(本書297ページ)と彼は言う。つまり、鍼灸師の行うことは、そのあくまでその手助けであるというのだ。それは、たしかに治療ではあるが、同時に、ある種の伴走であり、手助けである。本書の中で、痛みに導かれて「私」が本貫の地を訪ねて発見したのは、その本貫の地のアイデンティティの源泉でもあった川が治水のためという名目で、コンクリートの暗渠に埋められていた姿だった。そうして、そのことにより、その地には、それまで起こりもしなかった洪水が起きるようになっていた。川とは、もともとは動き、経路を変えるものであったはずだが、それが人間の都合により、固定化され、不当に矯められている。「治水」という語にも「治める」という語が含まれているが、それは、仮縫のいう「おさめる」とはずいぶんと違う。おさめるといいつつ、逆に、流れがうまく流れないようにされている。それは、自然を、ものとし、操作の対象とすることにより生じた「病」である。現在、地球を覆っている、地球環境の問題とは、そのような「病」であろう。そんな中、自然と人間との関係性を根源から考え直す際の共通基盤となるのは何か。本書は、それを、風土と物語という点から考える大きなヒントを与えてくれる。
梨木香歩『椿宿の辺りに』朝日新聞出版、2019年。