本書の著者である杉原薫とは三度の「出会い」があった。二度は本を通じての、三度目は、著者本人とである。だいたい10年おきくらいに「出会って」きている。

三つの出会い

一度目の「出会い」は、学生時代。専門書と言われる本を買い始めたころに購入したいくつかの本の中に、リブロポートが出していた「社会科学の冒険」というシリーズがある。四六判のコンパクトな構えの中に、オリジナルな研究が詰まったユニークなシリーズだった。今は、もはや社会科学の古典となっているベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』もこのシリーズで初めて邦訳されたものだ。その一冊として刊行されたものに『アジア交易圏と日本工業化』という一冊があった(浜下・川勝1991)。セピア色のジャンク船の写真に淡い色の水彩が載せられた表紙カバーのイラストが印象的な本である。これは、日本の近代化、工業化をアジアの文脈から見直そうという本だった。日本の近代化は、富国強兵や和魂洋才など、西洋との一対一の対応として進められた印象がある。久米邦武の『米欧回覧実記』などを読むと、たしかに、日本は、ヨーロッパとダイレクトに対峙していた。日本対欧米という図式である。だが、しかし、実は、日本の近代化、工業化とは、そのようにして達成されたものではなかったということを示した本だ。むしろ、「アジア交易圏」の一部として、日本は欧米と対峙し、工業化し、近代化していったというパラダイムを主張した本だ。そこにそのパラダイムの提唱者として登場していたのが、杉原薫だった。どうやらその核となる「アジア域内交易(アジア間貿易)intra-Asian trade」というキータームを考案した人らしい(杉原1991: 243-245)。本に書かれたプロフィールを見ると、ロンドン大学SOASのレクチャラー(講師)と書かれている。SOAS(ソアス)とは、スクール・オブ・オリエンタル・アンド・アフリカン・スタディーズの略で、東洋アフリカ研究院と訳され、斯界で有名なところ。いま、英国にいてその地からその新しい歴史の見方のパラダイムを推し進めているらしい。謎めいた人として印象に残った。これが、1990年代の、第1回目の「出会い」である。

二度目の「出会い」は、『講座 生存基盤論』全6巻に結実する大プロジェクトを率いた人として。これも本を通じた出会いだ。2000年代は、人文学の世界に数年がかりで大規模な予算を付けた大型の研究プロジェクトというものが導入された時代だった。21世紀COEやグローバルCOEなどの名称で文部科学省が助成を行った。そこには、日本国政府の「選択と集中」政策が反映しており、現在では、この「選択と集中」が果たして、日本の学術の進展にとって良かったのか悪かったのか議論が続いているが、しかし、プロジェクト方式によって、ぐっと研究が進化した分野があったのも事実である。大阪大学で哲学の鷲田清一が率いた「インターフェイスの人文学」、京都大学で社会学の落合恵美子が率いた「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」などのプロジェクトが代表的なものとして挙げられようが、『生存基盤論』を導いた「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」もその一つだ。それを京都大学の東南アジア研究所を拠点にして2007年から率いたのが杉原薫であった。この研究は、従来、温帯パラダイムに従ってきた世界の見方を、熱帯パラダイムに変換することで、世界の生存基盤の状況を再考しようという野心的なプロジェクトであった。それを象徴するものとして、「生存基盤指数」の開発が目指された。従来の様々な指数は、GDPにせよ、GNPにせよ、「経済発展」を指標とする。それを批判する人間開発指数が1990年代に提唱されたが、それも、健康や教育という人間の福利を主題に据えたところは評価できるが、しかし、自然環境はそこには入らない。しかし、生存基盤として考えた時、人間は自然環境とともにあるので、それを配慮に入れる必要がある。そうなったとき、従来見過ごされてきた熱帯の価値はぐんと上がるはずだ。そんな野心的な試みで作られた指数だ。たしかに、GNPでも、GDPでも下位に来る国々が、生存基盤指数では、上位に来る。それは世界の見方を変える力を持つ。残念ながら、生存基盤指数の運用は、当の京都大学でも、その他の機関でも継続されていないようで、数値が年々更新されていることはないようだが、もし、継続して英語で数値が更新されていたならば、世界的に見ていまも大きなインパクトを持ち続けているはずだ。そのプロジェクトを引きいた人として、杉原薫はまたぼくの前に現れた。これが2000年代の第2回目の「出会い」。とはいえ、彼はまだ本の中の人であった。

2010年代後半になり、杉原薫とは、総合地球環境学研究所で同僚として出会うことになる。今度の出会いは、生身の本人との出会いであった。出会いの場が、大学の経済学部でもなければ、歴史学部でもなく、地域研究学部でもなく、地球環境学にかんする研究所であったということは、予想もしないことではあったが、偶然とはいえ、不思議なめぐりあわせではあるが、それはそれで、同時代の必然性があったのだろう。杉原はプログラム・ダイレクターとして多忙を極めていたが、その中で時間をとってもらって本の出版企画について相談したり、アドバイスをもらうこともあった。英語圏の書籍や論文集にどうやってコンスタントに論文を発表してゆくのか、というストラテジーを問わず語りに聞いたこともある。いや、直接的に教示を受けた以外にも、有形無形の教えは大きい。国際シンポジウムでは、ある一つのセッションで英語での共同議長を務める機会もあった。同僚のダニエル・ナイルズと編集した学術書には、杉原の寄稿を得ることもできた。国際的学界の第一線で活躍し、グローバルな視野で思考する人の立ち居振る舞いから多くのことを学んだ。

前置きが長くなったが、そこからもわかるように杉原は、新たなパラダイムを先頭に立って開拓してゆく人である。本書は、その杉原の主著。杉原には、1980年代から1990年代初期の成果をまとめた第一の主著もあるが(杉原1996)、本書は1990年代後半から2010年代後半の成果をまとめたもので、文字通りの集大成である。約700ページの超大著であるが、芯がしっかり通っているので息をつかせず読ませる。

東アジア型の独自の経済成長

その芯とは、東アジアの経済成長の独自性と、それが果たす世界史的な役割のこれまでとは全く違った見方の提示である。これまでの歴史学、経済史においては、経済成長とは、18世紀のイギリスに発する産業革命が19世紀から20世紀にアメリカへ伝搬し、それを基軸として展開された現象であり、その単一の現象が一直線に世界史をおおう過程として描かれてきた。それは、大量生産、大量消費に代表されるように、資本と資源を集中的に使用する経済成長である。しかし、経済成長には、それとは違う成長があることを杉原は主張する。アジア型経済成長ともいえるような、「労働集約型、資本・資源節約型」の成長が、「資本集約型、資源集約型」のイギリス・アメリカを中心とした西洋型の成長の陰で、脈々と存在してきており、じつは、19世紀末から20世紀中盤までの世界の経済の成長の基盤となったのは、西洋タイプの成長とともに、アジアで、そのタイプの成長があったからだというのだ。とくに、現在の世界は、19世紀後半や20世紀前半の世界から見ると、グローバルに見て、経済的な不平等は大幅に減っている。それは、大量の人口を抱える、アジアにおいて、「労働集約型、資本・資源節約型」の経済成長が広く行き渡ったことが、多くの人々にもたらした果実であり、それは、世界全体で見ても、世界を良い方向に変えている。アジアでの独自の成長があったからこそ、そのような世界が可能になったのである。もちろん、現在、アフリカやアジアには、成長から取り残されている地域もあるが、そのような地域が成長し、そうして地球のあらゆる社会が持続可能な経済成長を達成するためためにも、東アジアの経験は、きちんと評価され、継承されなくてはならない。これが、本書を貫く主張である。

大部の本であるが、しかし、息もつかせないというのは、ほぼ1ページごとに新しい事実と新しい視角が出てくるからである。それが、約700ページにわたって続くというのは、稀有な本である。まるで百科事典である。そのような新しい視角と事実を提示し続けるという人の頭の構造はどうなっているのかと思うのだが、文脈への個々の事象の位置づけの独自性と、抽象化の独自性の二つを兼ね備えた知性の在り方であると言えよう。それがどうやって生み出されたのかを知りたいところだが、そのヒントは、第一の主著のあとがきに「学問の面白さと自分の頭でものを考える習慣」を「研究者として出発する前から」身につけていたと書かれているあたりにあるのかもしれない(杉原1996:397)。そこには、それを「身をもって教えてくれたのは父(杉原四郎)であった」と書かれている。杉原四郎博士は、ジョン・スチュアート・ミルやマルクスの思想研究で知られる経済思想史家である。自分の頭でものを考える習慣とは、誰かの見方を借りることなく、世界と直接的に対峙することでもあろう。本書のあとがきの中には「手作り」という語が出てくるが、世界というものを自らの手でつかむということは、自らの見方を確立することであり、それは、事実を自分の文脈で、自分の光の下で語るということである。本書は、志を持って書かれた書だが、それは、そのような、きわめてオリジナルな世界との対峙の仕方で書かれている。オリジナルな視角とは、オリジナルな思想でもある。

本書の構成

本書の芯については述べたが、それは具体的にどのように書かれているのか。本書の構成と内容について述べておこう。序章「東アジアの奇跡の意味するもの」の後、本書は三つの編で構成されている。

第I編は「東アジア型経済発展径路の成立と展開」と題されているが、この部分は、近世(おもに16世紀くらいから19世紀半ばくらい、日本で言うと江戸時代)の東アジアとヨーロッパの成長に関する比較詩的な研究からなる。この時期の成長に関しては、アメリカの経済史研究者のケネス・ポメランツが『大分岐』でヨーロッパの成長の独自性を強調して以来、大きな論争が続いている。18世紀くらいまでは、ヨーロッパとアジアには大きな経済的差異は存在しなかったが、19世紀以後、その差がぐんと開いた、というのがポメランツの主張であり、その原因が、イギリスを発祥とする産業革命だという。そのような、いわば、西欧中心主義史観に関しては、その妥当性をめぐって、国際的な論争がおこったが、杉原は国際的なその論争の当事者の一人として、アジアの「労働集約型」の径路の発見に大きな役割を果たした。それらの論考が収められている。

第II編は「近代世界システム像の再構築」である。近世が終わり、近代が開始し、現代(第二次大戦後)にいたるまでの、19世紀後半から20世紀前半の歴史についての論考が収められている。ここでの特徴は、詳細な一次資料や二次資料の博捜とそれに基づいた独自の表や図の提示である。もちろん、それは、杉原の研究全体の特徴なのだが、この編に収められた各論文は、移民・移動、統計、通貨などに関する詳細で徹底的なデータの蒐集にもとづいた論文である。そこから浮かび上がってくるのは、アジアの中に存在した様々な紐帯やネットワークが、ウェスタン・インパクトと融合して、新たに再編されて行ったという歴史像。アジアの側は、一方的な受け身として西欧近代の衝撃に対したのではなく、アジアはアジアで、それまで存在した歴史的遺産を踏まえて、独自の創造行為でもって対処したというのが眼目である。

第III編は「戦後世界システムと東アジアの奇跡」である。ここでは、先ほども述べたような、世界の経済的不平等をおおきく平準化するほどの成長をもたらした東アジアの経済成長が、世界の政治経済システムの中でどのように可能であったのかが描かれる。アメリカの世界戦略とアジアの開発あるいは国際分業の展開がその前半部分の焦点であり、その時期に、そこに、中東の化石燃料使用型経済成長が加わったことで、アジア、ヨーロッパ、中東というトライアングル上の資金循環が生まれていたことが明らかにされる。中東の紛争とは、それを背景とした構造的なものであった。一方、この時期の後半には、中国の問題も顕在化してくる。中国は、独自の成長路線を持ち、かつ、戦後のアメリカを中心とした国際分業の空隙をつくような構想を持つ。それは、資源集約型の経済成長の道へ進む可能性も持っている。そのようなアクターも含みこんだ中で、世界経済がどのように持続的に成長するべきかが論じられる。終章は、これらをまとめたうえで、持続的な径路の構築と世界規模での資源エネルギー節約技術の進化が求められることが述べられる。

径路と径路依存

この本が教えるところは何だろうか。未来に関する方法、あるいは未来像の問題に絞っていくつか挙げてみよう。

まず、方法についてだが、この本が「径路」pathという語を用いていることである。あるいは、「径路依存性」path dependencyという語も用いられている。これらは、含蓄の深い語である。これらの語は、もともとは経済学における技術開発論で用いられていた語のようであるが、現在では、広く、社会科学一般、あるいは、複雑系システム論やサイバネティックスなどに用いられている。この語を用いることで、径路がどのように収斂していくのかという問題や、あるいは、ネガティブ・フィードバックの存在をどう考えるのかなどが思考の俎上に乗るようになった。

未来に関して言うと、この語で興味ぶかいことは、それが強く未来のオルタナティブを示唆することである。また、未来と密接にかかわる過去に関しても、過去においてありえた径路の存在を示唆する。意外なことに、歴史学において、「径路」という語が用いられることはあまりないように思われるが、それは、歴史学に実験やオルタナティブという視角がないからであろう。歴史とは、一回性の出来事であり、事実を確定し、歴史を忠実に再現することが歴史学の課題であったからである。しかし、この杉原の本が示唆するのは、現実の歴史がとったあるコースとは、様々な可能性の中で選び取られた一つの径路であるということである。過去が現在であったある時点、あるいは、ある歴史の現実の出来事が起きていたとき、そこには他の可能性もあったはずである。それを認識することは、未来像を主体的に選び取るという可能性をも開くことになる。

本書の中では、最も大きな径路性は、ヨーロッパにおける「資本集約型、資源集約型」の成長と、アジアにおける「労働集約型、資源節約型」の経済成長である。すでに述べたように、本書の芯は、後者を正統的に歴史に位置付け、未来のオルタナティブとして提示するところにある。往々にして、工業化とは、前者のみとして見られがちで、後者の存在は認知されないか、あるいは、認知されたとしても、それはあくまで前者の亜流ないしは変形であるととらえられがちであった。それが世界のトレンドと言ってしまえばそうなのではあるが、その世界の潮流とは、西洋中心の見方でもある。そのような潮流に対して、本書は、後者がれっきとした一つの径路であることを主張する。

径路という語が示唆するように、その径路は、歴史として様々な要因に依存しながら、作られてきたものである。いいかえれば、多数の可能性の中から、偶然の作用も含みこみながら、選ばれてきたものである。選んだのは、もちろん、人間である。人間が選んだ径路であるのならば、人間は変えることもできる。もちろん、径路には径路依存性があるので、変えることは簡単なことではないが、しかし、その径路を逆にたどるようにすれば、それは変えられる。ここに、径路を通じた未来へのオルタナティブの提示という意味がある。依存性というと、人間の主体性を無視しているかのようにも思われるかもしれない。しかし、ここでいう依存性とは、そうではない。人間とは、かならずある歴史的文脈の中に存在するが、その中において、人間がある行為を行う限り、それは、多数の径路の中から一つを選んできたことであるはずだ。そこには必ず、選ぶという主体的な営為がある。その点でいかに受け身に見えようとも、主体的である。この点については、後でもう一度、詳しく見る。

モンスーン・アジアと径路性

モンスーン・アジアについて、この「径路」「径路依存性」の問題は、興味深い論点をもたらす。というのは、モンスーン・アジアの「労働集約型」の径路とは、モンスーン気候という自然が作り上げたある一つの「径路」の存在下において生まれた径路であることが示唆されるからである。労働集約型径路とは、「モンスーン径路」という自然環境における径路ののサブ径路ともいえる。モンスーン気候においては、稲作など協働的な作業が必要となった。その地域は、土地の希少性、つまり、人口に比べて土地が少ないという特徴を持っていた。これらは、自然が人間に課した条件であるが、それを人間が内在化させたとき、そこには、労働集約型の労働を得意とする人間集団の類型が生まれ、それが「労働集約型」の径路を生み出すことになる。

かつて和辻哲郎は『風土』のなかで、ヨーロッパの「牧場」風土、中東の「砂漠」風土、アジアの「モンスーン」風土を分類して、そこにおける人間のタイプを「人間学」的に考察した。下記の雨季に典型的なように自然の猛威の卓越するモンスーン風土においては、忍従的で共同体的な人間のタイプを特徴とすると彼は主張した。この和辻の知見は、「環境決定論」として、批判の対象となることが多く、それを述べた『風土』の第2章から第4章はあまり評価されることはない。しかし、この杉原のいうモンスーン・アジアにおける「労働集約型、資本・資源節約型」径路というのは、まさに、そのような問題を新しい視角の下で提示しているものであると思う。

決定論の逆の概念は、自由意志であるが、自由意志と決定論という組み合わせは、西洋に特有の組み合わせである。超越的で全知全能であまねく偏在する唯一神の存在下において、人間の主体性である自由意志は可能かという問題は、西洋における人間存在を考える基礎であった。決定論に対する拒絶的反応もそこからきている。つまり、環境決定論というレッテルは、西洋中心の世界観によるレッテルである可能性があるのだ。けれども、唯一絶対神が存在する世界が、唯一の世界ではない。唯一絶対の神がいる世界、即ち西欧と、相互関係によるものごとの生起を重視する「縁起」のような思想が基本となる世界、すなわちモンスーン・アジアにおいては、そもそも、世界と主体の関係性のとらえ方が異なる可能性がある。

杉原の、モンスーン・アジアにおける径路の問題が、現代世界をも規定しているという主張は、そのような、世界と人間との関係の在り方を逆転してみる必要を訴えているようでもある。当の西洋でも、今日、依存性や相互性が新しい形で問われている。フェミニズムやケアの思想は、人間の相互依存を強く主張するし、エコロジーを含みこんだ人文学においても、生命の自律性を強調するオートポイエーシスに代わって、シンビオ・ポイエーシスなど生物間の相互関係が強調されるようになってきている(Haraway2016)。そのような中、ある自然環境とそこにおける人間のタイプがどのように、歴史に影響をもたらしてきたのかということは新しい視角の下でとらえられるべきであろう。

偶然性と人間の主体性

径路という思考は、偶然性とどう関係するのだろうか。径路の選択ということを考えた時、ある径路が、多数の可能世界の束の中から選ばれたものだとしたならば、その選択はどのように行われたのかが問題になる。そこにおいては、あらゆるものが必然であると考えるのであろうか。それとも、偶然を認めるのであろうか。本書の中では、偶然という語が何度か出てくる。歴史の専門書に「偶然」という語が登場することはあまりないので、興味深いが、しかし、径路という思考を採用している限り、偶然の問題は避けられない。

本書の中で偶然という語を用いている個所を拾い上げてみよう。たとえば、イギリスの産業革命について論じた箇所で「商業や都市に近いところに、たまたま石炭がとれ、蒸気機関が採掘に利用される条件があったような、いくつかの「偶然」」(杉原2020:7)という表現がある。また、ヨーロッパ型の成長を論じた箇所で「石炭と北アメリカという、二つの「偶然」」(杉原2020: 67)という表現もある。これは、石炭に加えて、北アメリカ大陸という「新天地」をも「偶然」手に入れ、そこにある膨大な資源を利用できることになったことがヨーロッパ型の成長を可能にしたことを論じた箇所である。また、長期の地球史を論じた箇所では、「様々な偶然が重なってできたある地域の「自然」」(杉原2020: 620)という表現もある。ここからわかるのは、たしかに、本書には、「偶然」という語は登場するが、それは、しかし、歴史の偶然というよりも、自然と人間との邂逅について述べられている際に採用されていることである。自然という、人間の社会の理解を超えた存在と、人間社会との接点が歴史に作用した機微を述べたものであろう。もちろん、自然とは、偶然の存在ではない。自然には、自然の法則があるのだが、それと人間社会の法則とは別個の系にあり、人間社会の系からみると、自然とは偶然の系のように見えることも確かだ。

杉原は、自然という人間社会の外部にある条件を、歴史として取り込むことが人間の主体性であるととらえている。

「それ(東アジアの奇跡のこと。引用者注)は、技術的制度的に想定されてきた「自然な」発展でもなければ、単なる「事件」ないし「偶然のできごと」でもなく、むしろ、地域史的、世界史的に新しい径路依存性を生み出すものであったことを表現したいと考えた。」(杉原2020: 18)

本書のタイトルに「奇跡」という宗教的含意も持つ、一見問題含みの語を用いている理由について述べた箇所で杉原はこう述べている。別の箇所では、自然の中における人間の位置を述べて、「人間の活動の独自性はその目的意識性、判断力にある」(杉原2020: 621)と述べている。目的意識と判断力を持った人間が、自然というそれを持たない存在物の中で作り上げてきたのが歴史であり、作り上げていくのが未来であるという含意であろう。径路とは、道であるが、ある道はできた時、それは、偶然でもなく、必然でもなく、そこにそれとしてもう存在する存在物である。それを、偶然と名付けるのも、必然と名付けるのも、それを振り返ってバックワードとして見た際のある人間の認知作用である。道が生成している時点では、それは偶然でもなければ、必然でもない。そこにあるのは、制作(ポイエーシス)という主体的行為だけである。そのような制作(ポイエーシス)を行いうるのは、人間だけである。それへの強い確信がある。

歴史とは、それを、それとして認識する人間のみが主体的に入ることのできる過程であるが、とはいえ、同時にそれは、人間が歴史に捕獲されるような受け身的な側面があることも事実である(Löwith 1953=1983, 寺田2021)。歴史とは、歴史と人間の相互作用によって生じる現象だと言ってもよい。それは、能動のようで、受動でもあり、受け身のように見えて、能動的な選択でもある。そのような状態は中動態とも言われる。中動態とは、受動でもなく、能動でもなくその中間の相互性を占めす文法上のモダリティだ。英語やドイツ語などには、再帰動詞と呼ばれるものがあるが、それと似たような機能を持つ。再帰動詞は、ある行為を自己が自己に対して行う行為として表現する。たとえば、ドイツ語では、「わたしは思い出した」というとき、それは「わたしはわたしに対して思い起こさせた」のような言い回しをするのである。そこには、行為には、受動でも能動でもない領域があることが示唆される。歴史の中に入るということも、受動でもなく、能動でもない行為であろう。そうして、それは、自然との関係においても同じであろう。自然の中に、人間が存在するということとは、受動でもなく、能動でもないありようである。杉原が、偶然という語を自然との関係に用いていたのは、その側面を強調したもののようにも思われる。
このような行為の見方は、径路依存という語における「依存」という語への評価を変えるかもしれない。『中動態の世界』の中で、國分巧一郎が述べるように、依存とは、受け身的な表現であるが、しかし、それは受け身とも言い切れない側面がある(國分2017)。たしかに、依存という語には、受け身のニュアンスが強く、従って忌避されがちである。アルコール依存やギャンブル依存という語もある。しかし、それらのアルコール依存やギャンブル依存には、依存という形を借りて、より大きなストレスを緩和しようとする人間の行為であることも、近年強調されている。それは、より大きなストレスに対しては、アルコールによりそれを紛らわすことで、忌避しようという脳動的な行為なのである。その側面を見ることなしに、依存症からの脱出の援助をすることはできない。

イノベーション

「径路依存性」は受け身なのであろうか。主体性をどう考えるべきであろうか。これについても、本書は様々な示唆を与える。先ほど見たように、環境決定論に対する根強い批判があるのは、そこに含まれる「受け身」性が嫌われるからであろう。径路依存性も、「依存」という一見すると受け身の表現を含んでいる。これも、忌避されがちであろうが、しかし、それが重要な人間の機微の一つであることは、先に見た通りでもある。径路依存という語に依存という語が含まれているとはいえ、径路と人間とは、完全に能動的にでもなく、完全に受動的にでもない関係で関係しあっている。

受け身性について言えば、東アジアにおける労働集約型とは、一見するとこれも、受け身の対応でもある。イノベーションのように、外に打って出て状況を改善する「攻め」の姿勢ではなく、どちらかというと、受け身的に状況を受け止める姿勢である。ヨーロッパ型の径路とは、「資本集約型、資源集約型」であるが、そのような径路は、外に打って出て、資本や資源を広く集めて来る行為からなる。一方、東アジアにおける「労働集約型」とは、外に打って出る代わりに、手持ちの始原や資本の内部において、あくまで人間の労働力を集めたり高めたりすることによって成長をはかろうという戦略である。これは、イノベーションというよりも、どちらかというと、アダプテーションに近いかもしれない。

だが、果たしてそうであろうか。それは、一見すると受け身であるように見えても、それは、そのようにする道を選んでいる点で、主体的なのだとは考えられないだろうか。このような径路が、これまで、正当に評価されてこなかったということは、これも、西洋型のイノベーション観によるものではないかと思われる。東アジアにおける、労働集約型、資源節約型の径路とは、受け身の形ではある。それは一見すると、アダプテーションのようでもあるが、そのような形をとったイノベーションである。イノベーションを、外に打って出る形態のものに限ると、アダプテーションはイノベーションには含まれない。しかし、アダプテーションも、イノベーションも、外界への対応の二つの在り方であるとするならば、それは、アダプテーションもイノベーションであるということになろう。本書における、東アジア型径路の提唱は、イノベーション観の多様性を確保する必要を示唆している。

アフリカのジンバブエ出身でマサチューセッツ工科大学(MIT)で科学技術社会論(STS)を論じるクラパトン・チャカネツァ・マブフンガClapperton Chakanetsa Mavhungaは、イノベーションが存在しにくいと思われているアフリカにおいて、実際は、様々なイノベーションが起きていることを明らかにしている(Mavhunga 2017)。その主張の根底にあるのは、イノベーション観を、西洋中心的なイノベーション観から、在地におけるミクロな、一見受け身的な実践にまで広げることの主張である。彼は、たとえば、狩猟者が、近代化の中で、西洋からの技術をも貪欲に取り込み、様々な環境要素を組み合わせて狩猟を行ってきた状況を「イノベーション」ととらえるべきであると問題提起する(Mavhunga 2014)。

本書が強く主張するように、地球における持続可能性のためには、人々が経済成長の果実を平等に受け取ることができ、現在成長から取り残されている地域の生活水準が上がることが必要だが、それは、資源集約型の成長によって行われることはもはや不可能である。仮にそれが行われたとしても、それは、持続可能ではないだろう。持続可能な未来のためには、それ以外の道が探られなければならない。その際には、イノベーションを、「資本集約型、資源集約型」のイメージでとらえることへのオルタナティブが必要である。東アジア型の成長は、そのカギとなるが、本書は、そのための道筋への基礎を示している。

引用文献

國分功一郎(2017)『中動態の世界――意志と責任の考古学』医学書院。
杉原薫(1991)「アジア間貿易と日本の工業化」浜下武志・川勝平太(編)(1991)『アジア交易圏と日本工業化――1500-1900』社会科学の冒険、 12、リブロポート。
杉原薫(1996)『アジア間貿易の形成と構造』ミネルヴァ書房。
杉原薫(2020)『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会。
杉原薫ほか(編)(2012)『講座生存基盤論』全6巻、京都大学学術出版会。
寺田匡宏(2021)「人新世と「フォース(力)」――歴史における自然、人為、「なる」の原理とその相克」寺田匡宏、ダニエル・ナイルズ(編)『人新世を問う――環境、人文、アジアの視点』京都大学学術出版会。
浜下武志・川勝平太(編)(1991)『アジア交易圏と日本工業化――1500-1900』社会科学の冒険、 12、リブロポート。
Haraway, Donna J. (2016). Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene, Duke University Press.
Löwith, Karl (1953=1983). „Die Dynamik der Geschichte und der Historismu,“ in Karl Löwith, Weltgeschichte und Heilsgeschehen: zur Kritik der Geschichtsphilosophie, Sämtliche Schriften. Bd. 2, Stuttgart, Metzler.
Mavhunga, Clapperton Chakanetsa (2014). Transient Workspaces : Technologies of Everyday Innovation in Zimbabwe, MIT Press.
Mavhunga, Clapperton Chakanetsa (ed.) (2017). What Do Science, Technology, and Innovation Mean from Africa?, MIT Press.