未来会話、未来シナリオ、フューチャーデザインは何のために提唱され、実践されているのであろうか。それらは、ある目的のためのツールとして存在している。その目的とは、「望ましい未来像」の発見であるが、未来像が「像」であるということとは、種々様々で、雑多な、無数のナラティブ(語り)が、ある「像」に収束、収斂してゆくということである。

この過程とは、「合意形成」ともいえるし、あるいは、ナラティブに引き付けて言うと、ナラティブのコンバージェンスともいえる。

ここで、ナラティブのコンバージェンス(収束、収斂)がどのように起こるのかを一般化して考えてみたい。

ナラティブのコンバージェンスは、ある一定量のナラティブが蓄積した時に起きると考えられる。その際には、既存のナラティブの中からドミナントなナラティブが生じ場合や、既存のナラティブを止揚したあらたなナラティブが生じる場合などさまざまなパターンがある。しかし、ナラティブには、一定の量が蓄積した時に、コンバージェンスを起こす性質のようなものが備わっているように思われる。

逆に言うと、コンバージェンスが起きるためには、ある一定のナラティブの量が必要である。「ナラティブの量」は下の式によって決まると考えられる。

n=λic

n:ナラティブの量
λ:ナラティブ化係数、λ<1
i:情報の量、i>0
c:アクター間のコミュニケーションの量、c>0

ナラティブの量とは、情報量と、その情報を持ったあるアクター間でのコミュニケーションの量によって決まる。もちろん、すべての情報がナラティブになるわけでもないし、すべてのコミュニケーションがナラティブになるわけでもないので、ナラティブの量は、情報の量、あるいは、コミュニケーションの量と比べて少ないといえよう。この後見るように、ナラティブとは、情報やコミュニケーションという相が高次に移転したものであると考えられる。

図はコンバージェンスに至るナラティブの量を図示したものである。横軸にコミュニケーション量をとり、縦軸に情報量をとったとき、どちらか一方の量が増大するだけでは、コンバージェンスに必要なまでには、ナラティブの量は増えない。その両者のどちらもの量が増大した時に、ナラティブの量が増え、コンバージェンスに至ると考えられる。[注]

図 コンバージェンスに至るナラティブの量

このように、ナラティブを情報量だけではなく、コミュニケーションの量からも考えることは、言語の発生に関する言語学、人類学、認知心理学の知見を根拠としている。

言語は、ホモ・サピエンスに特有の現象として、少なくとも約4万年くらい前には出現していたといわれているが(Dunbar2016: 261ff.; Hinzen and Sheehan 2013: 255ff.)、それにあたっては、社会性が大きな位置を占めたであろうことが広く合意されている。社会性とは、共同の意志や意図の存在であり、また、コミュニケーションの存在である。言語には、音声、文法、単語など様々な側面があり、現在、ホモ・サピエンスが用いている言語とは、その様々な側面が複合して作り上げられた現象の一つだが(Hurford 2012)、ホモ・サピエンスが用いている言語が今日のようなものであるのは、偶然であり、ほかの生き物も、音声、文法、単語など個別のレベルに限ってみれば、それらを用いて、その生き物なりのコミュニケーションを行っている。ただ、それらの諸側面が統合されて、われわれが用いているような形で言語という形をとっているのはホモ・サピエンスにおいてだけである。

言語と社会性に関しては、たとえば、ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所所長のマイケル・トマセロMichael Tomaselloは認知心理学の面から、言語の出現を論じ、そこにおける、共同の指向性(Intentionality)の存在を重視している(Tomassello2014)。また、イギリス科学アカデミーで「初期人類からから言語まで:社会脳の考古学」プロジェクトを率いた人類学者、進化心理学者のロビン・ダンバーRobin Dunbarは言語を身体的コミュニケーションから高次元のコミュニケーションへの変化ととらえている(Dunbar2016: 241ff.)。たとえば、言語を持つ以前の類人猿は毛づくろいを通じてコミュニケーションを図っていたと考えられるが、集団が大きくなるにつれて、毛づくろいという身体的物理的コミュニケーションのためには、手持ち時間が足りなくなってきた。一方、言語というコミュニケーションは、物理的身体的コミュニケーションと違って、時間を短縮することができる。つまり、言語の出現の背景には、身体接触に代わるコミュニケーション・メディアの必要性があったことが想定されるというのである。ダンバーは、このような背景を持つ言語という現象においては、情報よりも、コミュニケーションのフォーマティブな側面の方が重要であるという。情報とは例えば、道具をどのように作るのかという手順や、獲物の位置などである。それに対して言語のパフォーマティブな側面とは、平たく言うと「噂話」であり、誰が何をした、誰が誰と付き合っている、というような、アクター間の関係を強化したり円滑化したり、場合によっては疎遠化する機能である。現在でも、噂話はコミュニケーションにおいて大きな位置を占める。彼は、これを言語の起源のゴシップ仮説と呼ぶ(Dunbar 2016: 261)。

言語とは、情報量と、コミュニケーションにより、非言語的なメディアが、高度化して生じたものであるといえる。

これをナラティブに援用するならば、ナラティブのコンバージェンスとは、ナラティブの高度化とも言い換えることができようが、その高度化の条件とは、情報量に加えて、コミュニケーションの量によっても規定されている。

ナラティブのコンバージェンスを、情報量とコミュニケーションからとらえる上記の式は、ある特定の時期のある特定の小集団において、どうして、「すぐれた」ナラティブが生まれたかを説明する。たとえば、古代ギリシアのある特定の時期、紀元前3世紀から4世紀には、プラトンとアリストテレスのすぐれた哲学的ナラティブが生まれたが、それは、当時のギリシアのアテネにおけるアカデメイアやリュケイオンなどの学びの場の存在を背景としている。学びの場とは、人のコミュニケーションの場であり、同時に、情報の集積の場である。18世紀から19世紀のドイツでは、カントやヘーゲルやマルクスといったドイツ観念論の卓越したナラティブが生まれたが、それは、当時のドイツにおける大学の隆盛を背景とする。大学も、情報とコミュニケーションの集積の場である。

もちろん、この式を用いて、逆のことも説明できるだろう。オーストラリア大陸には、4万年から6万年以前から、そして、両アメリカ大陸には1万年以前から、人類が住んでいたにもかかわらず、そこには、古代ギリシアや古代インドで見られたようなタイプの存在論哲学ナラティブが見られない。その事実も、上記の式から説明がつこう。それらの大陸は、そのタイプの知識の情報が伝わるには遠すぎたし、そのタイプの情報を持った人が行き来するには遠すぎたのである。これは、いわゆるアボリジナルやインディオ、ネイティブ・アメリカンなど、そこに住んでいた人々が知的に「劣っていた」から、古代ギリシアや古代インドで見られたような壮大な存在論のようなタイプのナラティブを生まなかったのではないということを含意する。もし、オーストラリアや両アメリカ大陸がギリシアやインドの近傍に存在したのであったならば、そこでは古代ギリシアや古代インドなどのタイプの哲学ナラティブは発達しただろう。そこは単に、そうではなかっただけなのである。上記の式は、ナラティブの生産、あるいは知識の生産をニュートラルなものとして見ることを可能にするはずだ。

言語というものを、人間の認知機能というシステムの一メディアと考えると、認識や意識の誕生から、ナラティブのコンバージェンスまでを一つのシステムの位相の異なった変容と考えることもできるかもしれない。このシステムを仮に、システムXとすると、意識や認識の発生はXαと表現できる。それが高度化して発生したのが、非言語によるコミュニケーションで、Xβである。さらに、その非言語コミュニケーションというシステムXβが、高度化して発生したのが言語というシステムXγである。その言語というシステムXγは、ある一定量に達した時、ナラティブを生じさせるが、それはシステムXδである。そのナラティブが、ある一定量に達した時、そこには、ナラティブのコンバージェンスが生じるが、それはシステムXεである。

システムXα=意識
システムXβ=非言語コミュニケーション 
システムXγ=言語 
システムXδ=ナラティブ 
システムXε=コンバージェンスしたナラティブ

細胞内共生(シンビオジェンネシスsymbiogenesis)説の提唱で著名な進化生物学者、微生物学者、理論生物学者のリン・マルグリスLynn Margulisのいうように、細胞が外界を感知することが意識であるとするならば、意識の発生は、原核生物が出現した40億年前にさかのぼるが(Margulis 1995: 122)、一般的には、意識の発生は脊椎の形成とともに起こると考えられ、脊椎動物が出現した5億年前のカンブリア紀であるといわれている(Todd 2017; Ginsburg and Jablonka 2019)。とするならば、Xαから現在のXεまでの過程は、40億年から5億年前までさかのぼる可能性のある過程の中に属しているともいえる。

それは、位相の変容でもある。位相移転(Phase transition)は、地球上における生命の誕生においても重要な意味を持ったことが議論されている。地球生命科学者のエリック・スミスEric Smithと生物物理学者ハロルド・モロヴィッツHarold Morowitzは、初期の地球において、物質の位相移転の繰り返しの中から、現在のような生命が生まれたという仮説を唱えている(Smith and Morowitz 2016: chap.7 ff.)。だとするならば、上記のXαの前にもっと長くつながるシステムの前史の鎖が存在したことになる。

コンバージェンスは、日本語にすると「収束」であるが、それは、複数の性質を持っていたものが、収束によって、同質化、等質化、同等化するということを意味する。そこでうまれた同質性、均質性にもとづいた状態とは、コンバージェンスの前に存在した個々の要素には還元できない状態である。個々の要素に還元できない性質が発生することは、一方で、エマージェンスemergence(創発)とも呼ばれる。コンバージェンスとエマージェンスは、どちらも、自然科学、社会科学、人文化科学をまたがる様々な現象で観察される現象だが、その関係性については、まだはっきりとしたことはわかっていない。複雑系を対象にした知見の蓄積により、近年、その重要性が認識されるようになってきて、哲学、科学論において議論が続いている(Bunge 2014)。複雑系システムといった物理的世界の現象と、意識、自由意志といった精神世界の現象を、エマージェンスという現象として、認識論、形而上学から統一してとらえる方法を提唱している論者もいる(Wilson 2021)。それらを踏まえつつ、ここで、大胆に単純化すると、コンバージェンスとはエマージェンスの中に包含されるものであるともいえる。

ナラティブには、コンバージェンする性質のようなものがあるのではないかと冒頭に書いた。これは、直観的なものではあったが、しかし、もし、コンバージェンスをそれを包摂するエマージェンスという現象も含めて広い視点からとらえるとすると、ナラティブのコンバージェンスとは、意識や生命の誕生ともかかわりのある現象であることになる。意識や生命とは、その本質として、コンバージェンスやエマージェンスを含みこんだ過程でもあるといえよう。それは、地球の歴史46億年とともに進行するシステムのある進行過程の中の現象であるともいえる。だとすると、ナラティブには、そもそも、コンバージェンスする性質があるということもそれほど奇妙なことではないのかもしれない。

[注]なお、言語には、「否定」の作用がある。それは、言語以外には、存在しえない機能であることは、絵画や、音楽では「否定」をあらわすことができないことからも明らかであろう。ルネ・マルグリットの絵画「イメージの裏切り」(1929年)が示すとおりである。この絵画のキャンバスには、パイプの絵が描かれているが、同時に、そのパイプの下に、「これはパイプではない」という文字も書かれている。その二つが一つのキャンバスに描かれ、書かれていることによって、この「絵画」は、一見、パイプの絵画のように見えるが、しかし、「これは単なる絵画であって、パイプそのものではない」ということが示されている。フランスの哲学者ミシェル・フーコーはその著書『これはパイプではない』(1973年)で、この絵画を論じることを通じて、言語と揮毫の問題を論じた。物理学では、ビッグバン直後の初期の宇宙には、マター(物質)とアンチ・マター(反物質)が存在したことが想定され、それらは、互いに打ち消しあう作用を持っていたと考えられている。現在の宇宙には、マター(物質)しか存在しないが、それは、初期宇宙で発生した打ち消しあいに際して、物質の側に余剰が発生していたからであると考えられている(Cockell 2020: 219)。言語に否定の機能があることによって、ナラティブにも、マターに対するアンチ・マターのような、他のナラティブを消し去るようなアンチ・ナラティブ(反ナラティブ)もあるとも考えられる。上記の式では、情報と、コミュニケーションは、存在物あるいは存在物を基盤にした現象であるので、どちらも正の量であると想定される。だが、情報は、量としては、正の量であっても、否定を含む情報からは負のナラティブしか生まれない場合もあろう。また、コミュニケーションが量としては正であっても、それが殺人や脅迫などの形態のコミュニケーションであれば、ナラティブとしては負のナラティブしか生まれない場合もあろう。焚書なども、そのようなコミュニケーションの一種だといえる。質の問題を含んだとき、上記のような、アンチ・ナラティブのような存在を考える必要もあろう。

引用文献
Bunge, Mario (2014). Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge, Toronto Studies in Philosophy, University of Toronto Press.
Dunbar Robin (2016). Human Evolution: Our Brains and Behavior, Oxford University Press.
Cockell, Charles S. (2020). Astrobiology: Understanding Life in the Universe, 2nd edition, Wiley Blackwell.
Feinberg, Todd (2017). The Ancient Origins of Consciousness: How the Brain Created Experience, The MIT Press.
Ginsburg, Simona and Eva Jablonka (2019). The Evolution of the Sensitive Soul: Learning and the Origins of Consciousness, The MIT Press.
Hinzen, Wolfram and Michelle Sheehan (2013). The Philosophy of Universal Grammar, Oxford University Press.
Hurford, James R. (2012). The Origins of Grammar, Oxford University Press.
Margulis, Lynn and Dorion Sagan (1995). What is life?, Simon & Schuster.
Smith, Eric and Harold J. Morowitz (2016). The Origin and Nature of Life on Earth: The Emergence of the fourth Geosphere, Cambridge University Press.
Tomasello, Michael (2014). A Natural History of Human Thinking, Harvard University Press.
Wilson, Jessica M. (2021). Metaphysical Emergence, Oxford University Press.